6月3日 17:53 「減税しても国は崩壊しない」論は正しいか?森山幹事長の発言から考える、減税論の説得力 | マーケターのつぶやき

「減税しても国は崩壊しない」論は正しいか?森山幹事長の発言から考える、減税論の説得力

先日、自民党の森山裕幹事長が「消費税を守ることが国民を守ることにつながる」と発言し、ネット上で大きな波紋を呼びました。この発言は、「完全なる老害」「自民党終わっている」といった辛辣な意見とともに、Yahoo!ニュースに配信されたある記事で、減税論の観点から鋭く批判されています。

今回は、その記事「減税しても国は崩壊しない3つの理由」で展開されている主張を読み解きながら、減税論の説得力について考察します。

参考記事:「消費税を守る」自民・森山裕幹事長の発言が波紋 「完全なる老害」「自民党終わっている」…減税しても国は崩壊しない3つの理由

「財源論」はただの詭弁だ!減税は政府の暴走を止める「線引き」

記事がまず指摘するのは、減税を主張すると必ず出てくる「財源を示せ」という批判が、実は「ただの詭弁」に過ぎないという点です。

記事によると、日本の税収は過去最高を記録しているにもかかわらず、政府は借金を増やし続けています。これは、税収が増える以上に支出が増え続ける「無限の支出構造」が原因であり、これを変えるには、まず「入るお金(税金)」を絞るしかない、と主張しています。

この考え方は、多くの人が抱える「税金は増えているのに、なぜ借金が増え続けるのか?」という根本的な疑問に答えるもので、説得力があります。減税を単なる「お金を国民に戻す政策」ではなく、「政府の肥大化に歯止めをかけるための、国民による自由の回復運動」と定義している点は、非常に斬新で力強い論点と言えるでしょう。

バラマキこそ真のポピュリズム、消費税は現役世代を苦しめる

森山幹事長の発言に対し、記事は「本末転倒も甚だしい」と強く批判しています。

現実の政治を見れば、「財政健全化」と称して増税を掲げる一方で、選挙対策のための人気取り政策が後を絶ちません。例えば、以前には岸田元首相が国民1人あたり4万円の定額減税を、そして直近では、参院選を前にした石破首相が、特に投票率の高い高齢者層を意識して高齢者層を優遇した給付金支給など、多額のバラマキ政策を次々と発表しました。

政府は「増税しないと国が崩壊する」と国民を脅かしながら、選挙対策の支出には何の節度もありません。国民からカネを取る論理には厳格でも、使う側には歯止めがない。この矛盾こそが、真のポピュリズムなのです。

さらに記事は、消費税が現役世代ほど重くのしかかる税制であるにもかかわらず、その税収が主に高齢者優遇の社会保障に使われているという現状を指摘しています。そして、これは「国民を守る」ためではなく、高齢者の投票率が高いことを意識した「議席を守るための政治的打算」に過ぎないと断じています。

減税で国家は崩壊しない!記事が挙げる3つの理由

そして、記事は「減税すると国家は崩壊する」という主張に対し、以下の3つの理由を挙げて反論しています。

■不要不急な支出が削減される
歳入に制限がかかれば、政府は必然的に支出を見直すことを迫られます。例えば、プロジェクションマッピング、自治体による婚活事業、予算消化のための年度末事業など、国民から見て「本当に必要なのか?」と疑問に感じる支出から真っ先に削られることになるでしょう。

過去には、民主党政権時代に行われた「事業仕分け」が、まさにこの「不要不急な支出の見直し」の例として挙げられます。あの公開の場で、「2位じゃダメなんですか?」という問いかけとともに、スーパーコンピューターの予算や各種事業の必要性が厳しく問われ、国民的な議論を呼びました。しかし、その後の政権では、このような大々的な支出の見直しはほとんど行われていないのが現状です。

それどころか、政府は国民の命に直結する医療分野にメスを入れることで支出を抑制しようとしています。例えば、高額な医療費がかかっても家計が破綻しないためのセーフティネットである高額療養費制度について、2025年8月から自己負担限度額の引き上げを予定しています。これにより、所得水準によっては、これまでより多くのお金を自己負担しなければならなくなります。

専門家からは「なぜ不要不急な支出を放置して、ここから削るのか」という疑問の声が上がりました。さらに、日本に滞在しない外国人からの徴収が不十分であるなど、制度の公平性を問う声がある中で、このような負担増を求める政府の姿勢は、支出削減に対する優先順位があまりにずさんだと言わざるを得ません。

このように、歳入に制限がかかることは、むしろ歓迎すべき健全な構造改革であり、政府に予算の規律を強制する有効な手段となります。

■健全な需要の回復を促す

「減税はインフレを加速させる」という意見もありますが、現在の日本の物価上昇は、主に輸入物価や原材料コストに起因するものです。それ以上に深刻なのは、可処分所得の減少が家計を圧迫し、消費が冷え込んでいることです。

その証拠に、食料品など生活必需品への支出割合を示すエンゲル係数が上昇傾向にあります。これは、手取りが減る中で、生活に不可欠な「食」にかけるお金の割合が増え、外食や趣味、旅行といった「贅沢品」への支出が削られていることを意味します。人々が将来への不安から財布の紐を締めれば、健全な消費活動は滞り、経済の活性化は遠のくばかりです。

減税によって実質所得を回復させることは、消費者の購買意欲を刺激し、健全な需要の回復を促す最良の策と言えるでしょう。

■社会保障改革が促進される

「社会保障が削られる」との懸念があるが、負担している現役世代や将来世代が疲弊してしまったらそもそも社会が崩壊するし、現に異次元の未婚化・少子化へと日本社会は崩壊しつつある。

日本の社会保障制度は、少子高齢化の進展により、現役世代の負担で高齢者世代を支えるという構造が限界に近づいています。本来であれば、年金支給額の見直しや支給開始年齢の引き上げといった抜本的な改革が不可欠ですが、政治家は高齢者票を失うことを恐れ、こうした『聖域』に手を付けようとしません。

その最大の原因が、「借金という逃げ道があること」です。政府は国民に痛みを伴う改革を迫る代わりに、赤字国債を無制限に発行し、問題を先送りし続けています。この『逃げ道』がある限り、負担と給付のバランスを根本から見直す議論は進まず、ツケは未来の世代に押し付けられ続けるのです。

減税は、まさにこの『逃げ道』を断つ行為です。歳入という「入口」を絞ることで、政府は否応なしに歳出という「出口」を見直さざるを得なくなります。その結果、負担側も考慮した持続可能な制度への改革を迫ることができ、これが次世代が希望を持てる社会への第一歩となるのです。

減税論は「国民の尊厳と自由」を問う議論

今回取り上げた記事は、森山幹事長の発言をきっかけに、単なる税金論争を超えて、「政府は誰のために存在するのか」「国民は政府をどうコントロールすべきか」という本質的な問いを私たちに投げかけています。

「減税は無責任」「財源を示せ」という言葉の裏に隠された「政府の支出は常に正しい」という前提を暴き、国民が「もう取りすぎだ」と意思表示することが、自らの尊厳と自由を取り戻す道であると主張するその内容は、バラマキに走り、無駄な支出を放置しながら、国民に痛みを強いる政府のずさんな財政姿勢に対する痛烈な批判でもあります。

エンゲル係数の上昇が示す家計の苦しさ、そして高齢者医療や高額療養費制度といった命に関わる部分にまでメスを入れる政府の姿勢は、もはや「増税が不可欠」という論理では納得できないレベルに達しています。

この記事は、増税論が支配的な現在の状況に対し、減税という選択肢を「国民の権利」や「政府への規律」という観点から論じることで、私たちに税金と政治のあり方を深く考えさせる、非常に意義深い内容だと言えるでしょう。

間もなく、私たちの声が政治に直接届く参議院選挙が始まります。

「政治家に頼るのではなく、政治家をコントロールする」という気概を持つこと。それが、この国を健全に保つ唯一の力です。この国の未来は、私たち一人ひとりの選択にかかっています。