2025年7月20日に投開票が行われた参議院選挙は、与党自民党にとって歴史的な惨敗となりました。自民党は改選議席を大きく下回り、公明党と合わせた与党全体でも参議院の過半数を割り込みました。さらに、既に去年の総選挙で衆議院の過半数も失っていることから、日本政治は衆参両院で野党が多数を占める「衆参ねじれ」という極めて異例かつ困難な局面に突入しました。
このような状況にもかかわらず、石破茂首相は選挙結果を受けて首相の続投を表明。「比較第一党としての責任」の他、「政治に一刻の停滞も許されない」「国家国民に対する責任」「喫緊の課題(アメリカとの関税交渉、災害対策など)への対応」を理由に挙げました。首相のこの判断は、一体どのような意味を持ち、そしてその「正当性」はどこにあるのでしょうか。
「比較第一党」とは何か?
石破首相が続投の根拠として挙げた「比較第一党」とは、その名の通り、「議席総数において、絶対的な過半数には達していないものの、他のどの政党よりも多くの議席を獲得している党」を指します。
通常、安定的な政権運営には衆議院の過半数議席が必要であり、連立政権を組む場合も、与党全体で過半数を確保するのが原則です。しかし、今回の選挙結果では、自民党単独はもちろん、連立を組む公明党と合わせても衆参両院で過半数を失いました。
石破首相がこの言葉を用いたのは、衆議院においても、与党全体では過半数を割ったものの、自民党単独では依然として第一党であるという事実をもって、政権を担う「責任」があると主張することで、大敗にもかかわらず首相の座に留まることを正当化する意図があると考えられます。
石破首相の続投表明の「法的正当性」
日本の憲法が定める議院内閣制では、内閣は衆議院の信任によってのみ存立します。
- 憲法上の解釈: 憲法第69条には、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と明記されています。
- 衆議院の不信任決議まで: この条文から見れば、衆議院で不信任決議が可決されない限り、首相が直ちに辞任する法的義務はありません。
この点から見ると、石破首相が「比較第一党」を理由に続投を表明し、不信任決議が提出されるまで首相の座に留まること自体は、形式的には法に触れるものではありません。しかし、これは法的な「義務がない」という消極的な正当性でしかありません。衆議院で過半数を失っている以上、いつ不信任決議が可決されてもおかしくない、極めて脆弱な法的基盤の上に立っていると言えます。
石破首相の続投表明の「政治的・倫理的正当性」:問われる理由
法的な形式論では可能でも、今回の状況での首相続投は、政治的・倫理的には極めて大きな批判を浴び、その正当性が強く問われます。
- 民意の完全な否定: 今回の参議院選挙の歴史的敗北に加え、既に衆議院でも過半数を失っていることは、国民が現在の政権に対し明確な「ノー」を突きつけていることを意味します。物価高への不満、政治とカネの問題への不信、そして政府の度重なる不手際に対し、国民は厳しい審判を下しました。この明確な民意を重く受け止めず、首相が続投を表明することは、「国民の声を聞かない」「民意を無視した居座り」と受け取られ、政治に対する不信感を一層深めるでしょう。
- 政治責任の取り方と慣例からの逸脱: 日本の政治慣例では、重要な国政選挙で与党が大敗し、特に政権の安定基盤である衆議院で過半数を失った場合、首相が責任を取って辞任するというのが一般的でした。石破首相の続投表明は、この政治的慣例に反するものであり、責任の取り方として極めて不十分であるとの批判は避けられません。
- 普遍的責任の「盾」と民主的説明責任の形骸化: 石破首相は続投理由として「政治に一刻の停滞も許されない」「国家国民に対する責任」「喫緊の課題への対応(災害対策含む)」などを挙げています。しかし、これらの責任は、首相という職務に就く者が常に背負うべき普遍的な義務そのものです。もし、選挙で国民から明確な「ノー」が突きつけられたにもかかわらず、これらの普遍的な責任を「辞任しないための盾」として用いることが許されるならば、選挙結果が内閣の存続に直接影響を与えなくなり、民主主義における説明責任が形骸化しかねません。 極論すれば、いかなる選挙結果が出ようとも、常に存在する課題を理由に「永久に総理の交代ができない」という状況を招き、国民の意思によるリーダーシップ交代の道を閉ざすことにも繋がりかねないのです。
- 国会運営の現実と国政の停滞: 衆参両院で野党が多数を占める「衆参ねじれ」は、政府の法案提出や予算審議を極めて困難にします。衆議院の優越が認められる予算や条約以外の一般法案は、参議院で否決されれば成立しません。この状況で政権を維持しようとすることは、重要課題への対応を遅らせ、国政を長期的な停滞に陥らせる可能性が高いです。首相が「国家国民に対する責任」を理由に続投を表明しても、実質的に何も決められない「死に体」政権となれば、国民の利益を損なうことになりかねません。
- 党内求心力の低下と混乱の加速: 相次ぐ選挙の敗北は、与党内の危機感を極限まで高めています。議席を失った議員や、次の衆議院選挙での自身の当選に不安を抱える議員からは、首相への不満や責任を問う声が公然と噴出しています。このような状況で首相が続投を表明しても、党内の結束は緩み、求心力は低下する一方でしょう。内閣改造や党役員人事を行っても、焼け石に水となり、党内の混乱と分裂を招く可能性すらあります。
今後の政局への影響
石破首相の続投表明は、今後の政局に極めて大きな不確実性をもたらします。
- 早期の首相交代圧力: 党内外からの退陣要求はさらに強まり、自民党総裁選の前倒しが現実味を帯びるでしょう。国民の不満と党内の危機感が収まらなければ、石破首相が短期間で辞任に追い込まれる可能性は非常に高いです。
- 衆議院解散・総選挙の圧力: 衆参ねじれの状況を打開するため、衆議院の解散・総選挙という選択肢も理論上はありえます。しかし、現状での総選挙は自民党にとってさらなる厳しい結果になるリスクが高く、首相にとっては最終手段となるでしょう。
- 政治空白と重要課題への対応遅滞: トランプ関税問題、少子化対策、防衛費増額、社会保障改革など、日本が直面する内外の重要課題への対応は、ねじれ国会と脆弱な政権基盤の下で極めて困難になります。政治の停滞は、国民生活や国際社会での日本の立場に悪影響を及ぼしかねません。
まとめ
石破首相が「比較第一党」や「普遍的な責任」を理由に首相続投を表明したことは、法的には直ちに問題となるわけではありません。しかし、相次ぐ国政選挙での歴史的な惨敗を受け、衆参両院で与党が過半数を失った現状では、その政治的・倫理的な正当性は極めて乏しいと言わざるを得ません。
国民の明確な「ノー」の意思表示に対し、政権トップが責任を取らない姿勢は、政治への信頼をさらに失墜させる恐れがあります。今後、石破首相がこの困難な状況を打開できるかは不透明であり、国民が納得できるような具体的かつ実効性のある対応が示されなければ、早期の政権交代は避けられないでしょう。今回の参議院選挙の結果は、日本の政治が新たな、そして極めて不安定なフェーズに入ったことを明確に示しています。