「毎日、朝早くから田んぼの様子を見て回る」「高齢化で重労働が辛くなってきた」「水不足のニュースを見るたびに、この先の米作りが不安になる」――。
こうした悩みを抱えている日本の米農家さんは少なくないでしょう。伝統的な水田稲作は、日本の原風景であり、私たちの食を支える大切な営みです。しかし、同時に多くの手間と労力がかかり、気候変動による水資源の問題も年々深刻化しています。
そんな中、今、日本の米作りの常識を大きく変える可能性を秘めた新しい栽培方法が注目を集めています。それが、「節水型乾田直播栽培」です。
「乾田直播?水を張らないお米作り?」と疑問に思われた方もいるかもしれません。この栽培方法を知らない、あるいは詳しくない農家さんこそ、ぜひこの記事を読み進めてみてください。
節水型乾田直播栽培って何?
従来の米作り(移植栽培)では、まず苗を育ててから水田に植え替え、田植え後は常に水を張った状態(湛水)を保ちます。
これに対し、節水型乾田直播栽培は、水を張らない「乾いた田んぼ」に直接イネの種をまき、稲が出芽した後も基本的に水を張らないか、ごく少ない水で管理するのが最大の特徴です。
「超節水栽培」とも呼ばれるこの方法は、単に水を節約するだけでなく、日本の米作りが直面する様々な課題を解決する、まさに「未来志向」の栽培技術なのです。
なぜ今、「節水型乾田直播栽培」なのか?その驚くべきメリット
「そんなに画期的なの?」と思われるかもしれませんが、この栽培方法には、日本の農業が直面する喫緊の課題に対する解決策と、農家さんの経営、そして地球環境に大きなメリットがあります。
1. 深刻な水不足を克服!劇的な「節水」効果
近年、日本でも平均気温上昇が進み、異常気象や地球温暖化の影響がでています。そのことで全国各地で水不足が深刻化し、安定した水の確保が難しくなっています。これからの米作りを考えた時、水資源は最も大きな不安材料の一つではないでしょうか。
節水型乾田直播栽培は、水田に水を張らないため、水の使用量を大幅に削減できます。これにより、限られた水資源を有効活用し、干ばつなどのリスクに強い、持続可能な米作りを実現できます。
2. 世界が求める「環境に優しい米」へ!メタンガス排出量を大幅削減
「脱炭素社会」への移行が世界的に加速する中で、農業分野にも環境負荷低減が強く求められています。特に、水田からのメタンガス排出は、地球温暖化の一因として国際的に指摘されています。
従来の湛水(たんすい)状態の水田では、土壌が水に覆われることで酸素が不足し、特定の微生物が活発になります。これらの微生物が有機物を分解する際に、メタンガスを大量に発生させます。
しかし、水を張らない節水型乾田直播栽培では、土壌が酸素に触れる状態が保たれるため、メタンガスを生成する微生物の活動が抑制され、結果として排出量を大幅に削減できます。これは、環境に配慮した「サステナブルなお米」として、消費者や流通業者からの評価を高め、新たな販路やブランド価値の確立につながる可能性を秘めています。
3. 人手不足の切り札!まさかの「大幅な省力化」
日本の農業従事者の高齢化と労働力不足は、深刻な構造的課題です。「育苗」「田植え」「代かき(田んぼの土を泥状にする作業)」といった、多くの時間と労力がかかる作業は、体力的な負担も大きいものです。
しかし、節水型乾田直播栽培では、これらの従来の重労働が不要になります。
- 育苗(苗を育てる作業)が不要に: 従来の移植栽培では、まずハウスで苗を育て、ある程度の大きさになってから田んぼに植え替えます。この育苗には、温度管理や水やり、病害虫対策など、きめ細やかな管理と多くの手間がかかります。節水型乾田直播栽培では、種を直接田んぼにまくため、この育苗の全てが不要になります。
- 田植え作業が不要に: 育苗が不要になるということは、田植え機を使った田植え作業も不要になります。大型の田植え機を操作する労力や、その後の補植(植え残しの手直し)なども発生しません。
- 代かき作業が不要に: 従来の田植え前には、田んぼに水を張って土を泥状にする「代かき」という作業が必要です。これは土壌の均平化や、田植えをしやすくするために行いますが、節水型乾田直播栽培は乾いた田んぼに直接種をまくため、代かき作業もなくなります。
このように、栽培プロセスから主要な重労働がまるごと省かれることで、報告によっては従来の栽培方法に比べて労働時間を70%も削減できるというデータもあり、人手不足の解消や、他の作物との兼業、ご自身のゆとりある時間を作ることも夢ではありません。
4. 経営改善にも貢献!コスト削減と安定生産
省力化は、そのままコスト削減にも直結します。
- 育苗資材費の削減: 育苗ハウスや苗箱、培土、肥料などの資材が不要になるため、これらの購入費や管理費が削減されます。
- 燃料費・機械費の削減: 代かきや田植え作業がなくなることで、トラクターや田植え機の燃料費、維持管理費、減価償却費などが削減できます。
- 人件費の削減: 労働時間が大幅に短縮されるため、季節雇用の人件費やご自身の労働コストが抑えられます。
これらの直接的なコスト削減に加え、省力化によって生まれた時間を別の農作業に充てる、あるいは高付加価値米の生産に取り組むなど、経営全体の効率化と収益向上にもつながります。変動する米価の波に左右されにくい、安定した経営基盤を築く一助となるでしょう。
難しいんじゃないの?小規模農家でもできる?
「大規模農家がやっているイメージ」「新しい機械が必要では?」といった疑問や不安をお持ちかもしれません。確かに、これまでの乾田直播栽培は大規模化に有利な面がありました。
しかし、最近ではその状況も変わりつつあります。特に、バイオスティミュラント資材(植物の生育を促進する天然由来の資材)の活用など、新しい技術の登場により、小規模・中規模の農家さんでもこの栽培方法に取り組む道が開けてきています。
例えば、既存の農機具を工夫して使ったり、発芽や初期生育を安定させる資材を導入したりすることで、高額な専用機械を導入せずに始められるケースも増えています。また、安定した発芽と生育が期待できるようになり、乾田直播の最も大きな課題の一つだった「初期生育の不安定さ」が大きく改善されています。
もちろん、雑草対策や土壌管理など、従来の栽培とは異なる管理ポイントはありますが、それらを克服するための新しい資材や技術、情報も日々進化しています。
意外とシンプル?節水型乾田直播栽培の基本的な流れ
では、「実際にどうやって進めるの?」という疑問をお持ちの方のために、節水型乾田直播栽培の基本的な手順をシンプルにご紹介しましょう。思っているよりも、既存の作業を応用できる部分が多いことに驚くかもしれません。
- 播種準備(土壌の準備)
- 田んぼを乾いた状態で耕起し、土壌を整えます。水は張りません。
- 必要に応じて、均平な土壌面を作ることで、播種ムラを減らし、安定した生育を促します。
- 播種(種まき)
- 調整された種子を、専用または汎用性の高い播種機を使って、乾いた土壌に直接まきます。
- 播種と同時に覆土(土を被せる)や鎮圧(軽く土を押さえつける)を行うことで、種子が土と密着し、発芽を促します。
- 初期水管理・出芽
- 播種後、必要に応じて軽く水を流す「走り水」を行うことで、発芽に必要な水分を供給します。水田全体に水を張る必要はありません。
- イネの芽が出るのを待ち、初期生育を観察します。
- 雑草対策
- 乾田のため、雑草が生えやすい環境になります。効果的な除草剤の選定と適切なタイミングでの散布、必要に応じた機械除草や手除草で対応します。近年は、AIを活用した雑草管理技術も登場しています。
- 水管理と施肥
- 基本的に水を張らずに栽培を進めますが、土壌の乾燥状態やイネの生育状況に応じて、必要な時だけ軽く水を入れたり、少量の水で管理したりします。
- イネの生育状況を見ながら、適切な時期に適切な量の肥料を与えます。
- 収穫
- 出穂・登熟を経て、十分に成熟したら、通常のコンバインなどで収穫します。
このように、育苗や田植えといった大きな手間が省かれることで、稲作の作業工程がぐっとシンプルになることがお分かりいただけるでしょう。
導入を検討する農家さんへ:まずはここから始めよう!
節水型乾田直播栽培に魅力を感じたものの、「何から始めればいいの?」と迷う方もいるかもしれません。いきなり全ての圃場を切り替える必要はありません。まずは、以下のステップで情報収集と準備を進めてみましょう。
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情報収集と学習
- 地域の成功事例に学ぶ: まずは、お住まいの地域で乾田直播に取り組んでいる農家さんの事例を探し、話を聞いてみましょう。地域ごとの気候や土壌条件に合わせた具体的なノウハウが得られるはずです。
- 専門家や研究機関に相談: 地域の農業指導機関や普及指導員、農業試験場、資材メーカーなどが情報提供や相談対応を行っています。最新の研究成果や技術指導を受けることができます。
- 講習会・実証試験への参加: 実際に圃場で栽培を見学したり、体験したりする機会は、導入のイメージを具体化する上で非常に有効です。
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圃場の確認と準備
- 土壌と排水性の確認: 自分の田んぼが節水型乾田直播に適しているか、土壌の種類や排水性を確認しましょう。特に、水はけが良すぎず、適度な保水性があるかが重要です。必要であれば、暗渠排水の設置など、土壌改良を検討することも有効です。
- 圃場の均平化: 種まきムラを減らし、安定した生育を促すために、田んぼの表面が平らであるかを確認し、必要に応じて均平化作業を行います。
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品種選定
- 適切な品種の選定: 上記で述べた「合う品種」の特性を参考に、ご自身の地域の気候や環境、そして目指す米の品質に合った品種を選びましょう。地域の推奨品種や、実証試験で良い結果が出ている品種を参考にすることが肝要です。
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必要な機械・資材と初期費用
- 節水型乾田直播栽培を始めるにあたり、最も大きな初期投資となるのが、専用の播種機や圃場均平化のための機械です。高性能な播種機は数百万円単位の費用がかかることもあります。
- しかし、既存のトラクターやロータリーなどを活用したり、汎用性の高い機械で代用したりすることで、新規購入費用を抑えることも可能です。特に小規模な農家さんや、まずは試してみたいという場合は、この選択肢も検討してみてください。
- また、発芽安定化のためのバイオスティミュラント資材や、効果的な除草剤なども必要になります。これらも初期費用として考慮に入れる必要があります。
- 補助金制度の活用: 国や地方自治体では、新しい農業技術の導入や環境保全型農業への転換を支援するための補助金や助成金制度を設けている場合があります。活用できる制度がないか、積極的に情報収集し、相談してみましょう。
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リスク管理と試験栽培
- まずは小規模な試験栽培から: いきなり全ての圃場を切り替えるのではなく、まずは一部の圃場や区画で試験的に導入することをお勧めします。小さな規模で経験を積み、技術やノウハウを習得することで、リスクを抑えながら本格導入に移行できます。
お米の味は変わる?品種選びの重要性
「節水型で育てたお米は美味しくないのでは?」という思われる方もいるかもしれません。また、どんな品種でも栽培できるのか、という疑問もあるかもしれません。
まず、結論から言えば、適切に管理され、この栽培方法に適した品種を選べば、従来の栽培方法で育てたお米と遜色のない、あるいはそれに匹敵する良食味の米を生産することは十分に可能です。お米の味は、品種、土壌、気象条件、そして栽培管理の細かな工夫によって大きく左右されます。
しかし、すべての米の銘柄が節水型乾田直播栽培に適しているわけではありません。この栽培方法で成功するためには、品種選びが極めて重要です。
節水型乾田直播栽培に「合う品種」の特性
主に、以下のような特性を持つ品種が節水型乾田直播栽培に適していると考えられています。
- 高い発芽力・初期生育の良さ: 乾いた土壌に直接まくため、安定して早く芽を出し、初期から根を深く張れる品種が望ましいです。
- 耐倒伏性(倒れにくい特性): 移植栽培に比べて、直播栽培は根の張りが浅くなりがちで倒伏しやすい傾向があるため、稈長(かんちょう:茎の長さ)が短く、倒れにくい性質を持つ品種が有利です。
- 乾燥耐性: 節水型であるため、ある程度の乾燥ストレスに耐えられる品種が望ましいです。
- 早生種または中生種: 地域や播種時期にもよりますが、生育期間が長すぎない品種が管理しやすくなります。
【具体的な品種例】 実証試験などで良い結果が出ている品種には、「彩のきずな」「にじのきらめき」「ほしじるし」「天のつぶ」などが挙げられます。北海道では「ほしまる」や「大地の星」といった品種が適しているとされています。
節水型乾田直播栽培に「合わない品種」の特性
一方で、以下のような特性を持つ品種は、節水型乾田直播栽培には不向き、または高度な栽培管理が必要となる場合があります。
- 初期生育が遅い品種: 発芽や初期の成長が遅いと、雑草との競合に負けやすくなります。
- 倒伏しやすい品種: 稈が長く、風で倒れやすい品種は、収量や品質が低下するリスクが高まります。例えば、「コシヒカリ」のような品種は食味は良いものの、倒伏しやすい性質があるため、乾田直播で栽培するには極めて慎重な施肥管理や栽培技術が求められます。
品種選びは、地域の気候や土壌、ご自身の圃場の条件に合わせて慎重に行うことが成功への第一歩です。
未来の米作りのために、まずは一歩踏み出そう
節水型乾田直播栽培は、単なる新しい技術ではありません。それは、水資源の保全、地球温暖化対策、そして何よりも農家さんの労働負担軽減と持続可能な経営を実現するための、強力な選択肢です。
今はまだ「知らない」「自分には関係ない」と感じる方もいるかもしれません。しかし、この技術は確実に進化し、普及の兆しを見せています。
もし少しでも興味を持たれたなら、ぜひ地元の農業指導機関や、この栽培方法を実践している農家さんの情報に触れてみてください。未来の米作りのために、今日から一歩を踏み出してみませんか?