6月3日 17:53 JAの発言が信頼を損ねる理由──米問題に見る「説明責任」の欠如 | マーケターのつぶやき

JAの発言が信頼を損ねる理由──米問題に見る「説明責任」の欠如

2024年から2025年にかけて、日本のコメ価格と供給を巡る混乱、いわゆる「米騒動」が起こりました。その中で、テレビやメディアにたびたび登場するJA(全国農業協同組合連合会)関係者の発言が、視聴者や消費者、そして農家の間で不信感を呼んでいます。

本記事では、JA関係者のメディア対応における発言がなぜ疑念を招いているのか、具体的な発言や事実関係、そしてその背後にある構造的な問題に焦点を当てて考察します。

違和感が募るJAのメディア対応

一部のJA関係者はテレビ番組などで、「JAはすでに備蓄米の出荷を進めている」と述べ、市場に米が出回っていないのは「卸などの流通側の都合によるもの」と説明しています。また、「価格は決して高くない」とする発言もありました。こうしたコメントは、一見すると理屈が通っているようにも聞こえますが、消費者や現場農家からは「話がかみ合っていない」「責任を回避している」との違和感を呼んでいます。

この違和感の正体をつかむためには、JA側の具体的な発言と、それに対する社会の反応を丁寧に検証する必要があります。

■ なぜ今、JAの発言が注目されているのか

2025年春、小泉農水大臣の指示により、政府が備蓄米を一部放出する措置を発表しました。
背景には、米価の下落、農家の経営難、消費者からの『米が高い』という声、そして“学校給食や自衛隊など、公共機関で使うために優先的に流通していたとされる特定産地の米(いわゆる江藤米)”の存在が注目されました。

JAは、生産者(農家)と消費者をつなぐ重要な中間組織であり、農産物の集荷・販売を担うだけでなく、政策提言力も持つ存在です。
そんなJAの関係者が、こうした問題に対してどのような説明をするかは、国民の理解や信頼を左右する重要な要素です。

■ 不信感を招いた発言の数々

しかし、実際にメディアで発されたコメントには、首をかしげたくなるものも目立ちました。以下はその一例です。

「備蓄米はすでに出している」—でも市場には届いていない

JA関係者の中には、「備蓄米は出しているが、流通が止まっている」と説明する人もいます。たとえば元JA理事の大塚則昭氏は「JAは全体の3〜4割の流通しか担っていない」「6割は民間流通」と説明し、「JAの関与が原因ではない」と否定しました。

しかし、消費者からすれば、どこが流通を止めているかよりも、「なぜスーパーに米がないのか」が問題です。「出しているのに届かない」という説明では、責任の所在が不明確で納得できません。

「市場が買ってくれない」—責任転嫁に聞こえる説明

一部の報道では、「価格が合わないため、流通業者が買っていない」という趣旨の発言も見られました。これは、まるでJAは供給側としてできる限りのことをしており、買い手側に問題があるかのような印象を与えます。

しかし現実には、備蓄米の大量落札を行っていたのはJA全農であり、その後の販売や流通には時間がかかる仕組みが存在していました。これでは「市場のせい」と片づけるのは無理があります。

「農家の手取りは減っていない」—現場感覚との乖離

また、農家の収入に関して「手取りは減っていない」との見解を示すJA関係者もいます。しかし、実際に農家の中にはコスト高騰や販売価格の低下で苦しんでいるという声も多く聞かれます。こうした発言は「現場を見ていない」「実態を理解していない」と受け取られかねません。

備蓄米の「非表示」要請—情報隠しの印象を与える

さらに、JA全農が流通業者に対して「“備蓄米”と表示しないように」と要請していたという報道もあります。「品質や味は問題ない」という理由が添えられていますが、消費者にとっては「なぜ備蓄米であることを隠すのか」と不信を招く要因になりました。

「価格は高くない」—生活実感とのズレ

JA全中の会長が「国内のコメ価格は決して高いとは思っていない」と発言したことも、生活実感との乖離を示しています。消費者にとっては、実際に手に入る米の値段が問題であり、その認識の違いは「当事者意識の欠如」と受け止められがちです。

■ なぜJAのコメントは不信感を生むのか?

● 論点のすり替え

たとえば「卸や小売の都合で米が流通していない」という言い方は、まるでJAには責任がないかのような印象を与えます。しかし実際には、JAは流通にも深く関与しており、「出荷したから後は知らない」という態度は、あまりに他人事です。

● 情報の不透明さ

「出荷した」と言うなら、どこへ・どれだけ・いつ出荷したのか。その具体的なデータやスケジュールを明示すれば、信頼は得られるはずです。にもかかわらず、説明は抽象的で、視聴者が納得できる情報にはなっていません。

● 責任転嫁

価格の維持、流通の調整、在庫管理――いずれもJAが本来担うべき機能です。しかし、JA関係者の発言には、そうした役割を意識している様子がほとんど見られません。責任を政府や市場、卸業者に転嫁するような発言は、むしろ不信感を加速させます。

● 当事者意識の欠如

何より問題なのは、「農業の未来を支える当事者」という意識が、JA側から感じられない点です。食料や農業に対する危機感を共有せず、現状維持や自己保身に終始する姿勢に、視聴者は敏感に反応しています。

不信感の背景にある構造的課題

これらの発言が問題視されるのは、単に発言内容に誤りがあるからではありません。「誰が何をどこまで説明責任を負っているのか」というガバナンスの曖昧さ、情報の不透明さ、そして何より当事者としての説明姿勢の欠如が、不信感の本質です。

消費者、農家、そして流通業者のすべてが「自分が原因ではない」とする中で、調整役としてのJAが信頼を取り戻すには、発言の透明性と責任の明示が不可欠です。

■ JAは誰のために存在しているのか?

本来、JAは農家の経営支援を目的とした協同組合です。しかし同時に、農業という「公共財」を守るプレイヤーでもあります。
日本の食料安全保障、地域経済、持続可能な農業のために、JAは消費者の信頼と共感を得て機能しなければなりません。

それにもかかわらず、今のJAの姿勢には「自分たちはもうやった」「後は別の問題」といった責任回避がにじみ出ているように感じます。
これでは、農家の信頼も、消費者の共感も得られません。

■ 農政への関心を持つ入り口として

今回の米流通の混乱をきっかけに、私たちが気づくべきことがあります。
それは、農政というのは、農家だけの問題ではなく、「食べる私たち自身」の問題だということです。

誰が流通を支配しているのか。誰が価格を決めているのか。
そして、誰が説明責任を果たすべきなのか――。

こうした視点で考えていくことが、食と農の未来を変える第一歩になります。

■ 信頼は、行動と説明によってしか得られない

JAに求められているのは、問題の“正当化”ではありません。
説明責任を果たし、具体的な情報を開示し、国民と向き合う姿勢こそが、信頼を取り戻す唯一の道です。

そして私たちもまた、批判するだけでなく、「どうすればもっと良くできるか」という視点を持って、農業と農政を見つめ直す必要があります。
組合も市民も、未来の食卓を守る当事者であることに変わりはないのですから。

JAと農水族──誰が本当の“抵抗勢力”か?

一見すると、近年の農政改革においてJAは従来ほど目立った反対をしていないように見えます。実際、小泉農水相による備蓄米制度の見直しや市場流通の合理化などに対して、JA本体が正面から対立する姿勢は見せていません。

しかし、その裏側では、JAの意向を受けた農水族議員が水面下で制度修正を働きかける構図が依然として存在している可能性があります。
この「表では協調、裏では抵抗」という二面性が、改革の実効性を曖昧にし、結果として農政の構造問題を温存させてしまう可能性があります。

かつて石破農水相が試みた減反政策の見直しは、まさにJAと農水族による包囲網によって潰されました。同じことが繰り返されない保証は、どこにもありません。

改革を成功させるには、単にJAのメディア対応を批判するだけでなく、誰が本当の「抵抗勢力」なのかを見極める冷静な目と、それを監視する市民の意識が求められます。
そして必要であれば、JA自身も農水族の“隠れ蓑”にならないよう、改革の透明性を社会に対して積極的に示していくべき時代です。