Yahooニュースで「だからこの国では「本格的な減税」が実現しない…先進国で日本にだけない「あって当たり前の政党」の正体」という衝撃的なタイトルの記事を読みました。この記事が鋭く指摘しているのは、私たち国民の生活に直結する「減税」がなぜ日本ではなかなか進まないのか、そしてその背景にある「他国では当たり前にある政党が、日本には存在しない」という、根深い問題です。
参考記事:だからこの国では「本格的な減税」が実現しない…先進国で日本にだけない「あって当たり前の政党」の正体
「本格的な減税」が遠い日本の現実
記事がまず指摘するのは、2024年の衆院選で与党が過半数を割るという状況がありながらも、なぜ消費減税や、いわゆる「178万円の壁」の撤廃といった、国民の暮らしに直結する「本格的な減税」が実現しないのか、という点です。
著者の森永卓郎氏は、その最大の理由を「政治家の保身」と断じています。与党の税制改正大綱における減税額は、国民民主党が求めた水準には遠く及ばず、また日本維新の会や立憲民主党といった野党の代表者も、減税に対して必ずしも積極的な姿勢ではなかったことが示されています。
国民の手取りを増やし、景気を刺激するはずの減税が、なぜこうも進まないのか。私たち国民としては、まさに歯がゆい思いが募るばかりです。
他国にはある「あって当たり前の政党」とは?
この記事の核心は、この「減税が進まない」という日本の現状を、「先進国で日本にだけない『あって当たり前の政党』の不在」という視点から読み解いている点です。
では、「あって当たり前の政党」とは一体何を指すのでしょうか。記事の文脈から推察するに、それはおそらく、国民の生活苦や経済的な負担に真正面から向き合い、大規模な減税や社会保障制度の見直しといった、国民の可処分所得を直接増やす政策を強力に推進する政党のことだと考えられます。
例えば、英国の保守党が大規模な減税を公約に掲げたり、米国の共和党が恒久的な減税を推進したりするなど、海外の先進国には、明確な経済政策として国民負担の軽減を打ち出す政党が存在し、それが選挙の大きな争点となることも珍しくありません。彼らは、国民の「家計の苦しさ」を具体的に政策に落とし込み、時には与野党の垣根を越えて、国民生活の向上を最優先に議論を重ねます。
しかし、残念ながら日本では、このような「国民の負担を軽減し、手取りを増やすための本格的な議論」が十分に行われているとは言えません。むしろ、社会保障費の増大などを理由に、消費税の引き上げや各種保険料の増額など、国民負担を増やすための議論に終始し、「ステルス増税」とも呼ばれる形で、実質的な国民の負担が増加し続けているのが現状です。このような「国民の暮らしを豊かにする減税」を強力に推し進める政党の不在が、結果的に国民の政治への無関心や諦めを生み出す一因となっているのではないでしょうか。
なぜ日本にはその政党がなく、減税が進まないのか?
では、なぜ日本にはそうした「国民の生活を直接的に豊かにする減税」を最優先に掲げ、強力に推進できる政党が明確に見当たらないのでしょうか。そして、先に触れた森永卓郎氏が指摘する「政治家の保身」とは具体的に何を意味し、減税の議論を積極的に行わないことが、なぜその保身につながるのでしょうか。
1. 大規模な減税に踏み切れない構造的な問題
既存の主要政党が減税に及び腰になる背景には、いくつかの構造的な問題があります。
- 財政健全化への強いプレッシャー: 日本は主要先進国の中でも特に多額の政府債務を抱えています。「これ以上の減税は財政規律を緩める」という批判が必ず出てくるため、政治家は財政悪化の責任を問われることを恐れ、大規模な減税には慎重にならざるを得ません。
- 硬直化した歳出構造: 医療や年金などの社会保障費は高齢化の進展に伴い年々増加し、その削減は国民の大きな反発を招きやすいです。防衛費や公共事業、教育費なども削減が難しい項目が多く、減税の原資を捻出するための大幅な歳出カットは極めて困難な状況にあります。
- 官僚機構の抵抗: 予算編成を担う官僚機構は、既存の予算配分や歳出規模を維持する傾向があります。大規模な減税は、彼らの所管する事業や予算の縮小につながる可能性があるため、抵抗が生じやすいという側面もあります。
2. 減税の議論が「保身」につながる理由
そして、減税の議論を積極的に行わないことが、政治家個人の「保身」につながる側面も指摘されています。
- 既存の利権や支持層への配慮: 現在の歳出には、特定の産業への補助金や特定の地域への公共事業など、それぞれ支持基盤や利権が絡んでいます。減税の財源を確保するためにこれらの歳出を削ろうとすると、その支持層からの反発や、次の選挙での不利につながる可能性が出てきます。減税の議論を避けることで、こうした摩擦を回避し、既存の支持基盤を温存できるという側面があるのです。
- 責任の回避と「無難な選択」: 大規模な減税は、国民にとっては歓迎される政策ですが、もし景気回復につながらなかったり、財政がさらに悪化したりした場合、その責任は政策を推進した政治家が負うことになります。このようなリスクを冒してまで減税に踏み込むよりも、現状維持や小幅な政策変更に留める方が、政治家個人としては「無難」であり、批判の矢面に立たされることを避けられる選択肢となりえます。
- 国民への負担転嫁の容易さ: 増税や保険料増額は、減税によって歳出削減の具体的な痛みを伴う議論をするよりも、「社会保障のため」「財政健全化のため」といった名目で、国民全体に広く薄く負担を求める方が、政治家にとっては比較的容易な選択肢となりやすい傾向があります。
- 財政当局の意向と政治家への影響: 国の財政健全化を最大の使命とする財政当局(財務省など)は、一般的に歳出削減や増税には積極的である一方、大規模な減税には極めて慎重な立場を取ります。政治家が減税を推進しようとした際に、そうした財政当局からの強い抵抗や、財政悪化への懸念を示す働きかけを受けることで、減税への動きが鈍るケースも指摘されており、これもまた政治家が「無難な選択」をする一因となりえます。
私たちができること
この記事は、日本の政治が抱える構造的な課題を浮き彫りにしています。国民の暮らしを第一に考え、具体的な減税策を力強く推進する「あって当たり前の政党」が、日本に本当に必要なのではないでしょうか。
私たち有権者は、この状況をただ傍観するのではなく、積極的に声を上げ、行動することが求められています。
- 政治家や政党の政策を徹底的に吟味する: 選挙の際には、各政党が提示する政策を表面だけでなく、その具体策や財源、国民の暮らしへの影響まで深く掘り下げて見極める必要があります。特に「国民の可処分所得を増やす」という視点を持つ政党がどこにあるのか、意識的に探してみましょう。
- 声を届ける: SNSでの発信、メディアへの投書、政治家への直接的な意見表明など、様々な手段で「本格的な減税」を求める国民の意思を明確に示していくことが重要です。個人の声は小さくても、それが集まれば大きな力になります。
- 行動を起こす: 減税や国民負担軽減を主張する市民団体や草の根運動があれば、それに参加することも有効な手段です。有権者一人ひとりの意識と行動が、政治を動かす原動力となるはずです。
「本格的な減税」は、経済を活性化し、国民生活を豊かにする重要な選択肢の一つです。しかし、真に理想的なのは、目先の増減税論議に終始するのではなく、常に経済状況や社会情勢を総合的に判断し、国民負担の最適化と経済成長の両立を図る、真に国民のための税制議論が活発に行われる日本ではないでしょうか。
そうした、将来を見据えた賢明な税制と、国民の暮らしを第一に考える政治の実現に向けて、私たちは諦めてはいけません。