政府の借金について議論する際、よく聞かれるのが「国の借金は◯◯兆円」というニュースです。しかし、本当に重要なのは、政府が持つ「使える資産」を差し引いた実質的な借金の額ではないでしょうか。近年、高市早苗氏をはじめとする政治家によって、従来の目標に代わり、この「純債務残高(じゅんさいむざんだか)」を重視すべきとの議論が巻き起こっています。今回は、純債務残高の基本と、なぜこれが日本の財政目標として注目されているのかなどについて、ご紹介します。
💰 「純債務残高」の定義と計算方法
純債務残高とは、国や地方自治体などの政府全体が抱える総債務(借金)から、政府が保有している金融資産を差し引いて算出される金額です。
これは、家計に例えると「住宅ローンやカードローンなどの借金総額」から「貯金や投資信託などの資産」を引いた、真水(実質)の借金を示す指標といえます。
具体的な構成要素は以下の通りです。
- 政府総債務: 公債、借入金など、政府が返済義務を負う全ての負債です。
- 金融資産: 年金積立金、外貨準備高、現金・預金など、換金可能で借金返済に充てられる資産です。
純債務残高 = 政府総債務 – 政府が保有する金融資産
🌍 国際標準としての重要性と日本の現状
従来の総債務(グロス債務)ではなく、純債務残高が重視される理由は、政府の財政能力をより正確に反映するためです。これは、特定の国だけでなく、世界的な標準となりつつあります。
- 年金積立金を考慮に入れる: 純債務残高は、将来の年金給付などに備えて積み立てられている巨額の年金積立金を資産として考慮に入れます。単なる総債務だけではこの資産が無視されてしまいます。
- 国際機関の採用: IMF(国際通貨基金)やOECD(経済協力開発機構)などの主要な国際機関は、各国の財政健全性を評価する際に、この純債務残高のデータを主要な分析ツールとして利用しています。
- 主要国の評価基準: アメリカやイギリスなど多くの先進国では、「Net Debt to GDP(純債務残高対GDP比)」を政府の財政状況を評価する重要な指標の一つとして公表し、財政議論の基盤としています。
🚨 注目! 日本の純債務残高の現状
国際的な比較で見ると、日本の純債務残高(対GDP比)は、G7諸国の中で突出して高い水準にあります。
G7諸国の純債務残高(対GDP比)の目安(2024年時点のIMFなどの予測に基づく)は以下の通りです。
- 日本: 約 155%
- アメリカ: 約 97%
- フランス: 約 104%
- イタリア: 約 134%
- イギリス: 約 83%
- ドイツ: 約 47%
- カナダ: 約 31%
このように、日本の純債務残高は約 155%と経済規模を大きく上回る巨額の実質的な借金であり、G7で最も厳しい財政状況にあることを示しています。他のG7諸国では、例えばアメリカは約97%、フランスは約104%、イタリアは約134%となっていますが、ドイツ(約47%)やカナダ(約31%)といった国々と比較すると、日本の数値の高さが際立ちます。この国際的に見て厳しい財政状況が、従来の指標からの転換を迫る大きな背景となっているのです。このような状況だからこそ、従来の緊縮的な目標(PB黒字化)から脱却し、経済成長を優先する純債務残高の安定化へと、財政目標の根本的な見直しが議論されているのです。
🎯 財政目標の転換:PB黒字化から純債務残高へ
高市氏などが提言しているのは、財政健全化の目標を従来のプライマリー・バランス(PB)黒字化から、「対GDP政府純債務残高比率の安定化・引き下げ」へと切り替えることです。この転換は、日本の財政運営の基本哲学に関わる大きな論点です。
転換の背景:デフレ長期化と「PB目標の緊縮バイアス」
従来のPB黒字化目標が転換されようとしている背景には、日本が長らくデフレから抜け出せず、経済成長が停滞してきた経緯があります。
PB目標は、目標達成のために緊縮的な政策(増税や歳出削減)を政府に強いる「緊縮バイアス」を生み出し、これがデフレ脱却を目指す経済の足かせになっていたという批判が根強くあります。
純債務残高への転換は、このデフレ的な状況を打破するため、財政の安定化を緊縮ではなく、積極的な公共投資や成長戦略による経済成長に委ねようという、明確な意思表示と言えます。
🥊 従来の目標との決定的な違い
従来の財政目標であるプライマリー・バランス(PB)黒字化と、新しい目標である純債務残高比率の安定化の間には、指標の種類、評価対象、そして財政哲学において、決定的な違いがあります。
▶︎ プライマリー・バランス(PB)黒字化(従来の目標)
- 評価対象はフロー: その年の収入と支出の収支を評価します。
- 目的は緊縮: 歳出削減や増税による収支改善を目指す「緊縮」志向です。
▶︎ 純債務残高比率の安定化(新しい目標)
- 評価対象はストック: 累積した実質的な借金総額の経済規模に対する大きさを評価します。
- 目的は成長: 名目経済成長による分母(GDP)の拡大を目指す「成長」志向です。
📈 緊縮から成長重視の財政運営へ
PB黒字化は「新たな借金の増加を止める」ことに焦点を当てていますが、これを厳格に追求すると、増税や歳出削減が景気の足を引っ張り、デフレ脱却や経済成長を妨げる可能性があります。
一方、純債務残高比率を重視する新しい基準では、経済成長を最優先します。金利(利払い費)よりも名目経済成長率が高ければ、経済規模(GDP)が拡大することで、借金総額が変わらなくても、相対的な比率が自然と安定・低下に向かうためです。
これは、財政の安定を「緊縮」ではなく、積極的な財政出動による「経済成長」で実現しようという、成長重視の思想に基づいています。
🔑 日本の財政目標が意味するもの
純債務残高は、政府の実質的な負債を示す、国際的にも信頼性の高い指標です。この指標への財政目標の転換は、G7諸国で最も高い水準にある日本の厳しい財政状況を乗り越えるために、従来の緊縮財政の路線から脱却し、経済成長を最優先しつつ財政の信認を確保するという、新たなフェーズに入る可能性を示唆していると言えるでしょう。今後の政治の議論と、その実行に注目が集まります。
❓ FAQ(よくある質問と回答)
Q1. 「純債務残高」と「国の借金」はどう違うのですか?
ニュースでよく報じられる「国の借金」は、政府が発行した国債など全ての負債を合計した総債務(グロス債務)を指します。一方、純債務残高は、その総債務から年金積立金や外貨準備高などの「政府が持つ金融資産」を差し引いたものです。純債務残高は、政府が実質的に返済しなければならない借金の真水を示しており、財政の健全性をより正確に反映する指標として国際的に重視されています。
Q2. なぜ、従来のPB(プライマリー・バランス)黒字化は廃止すべきだという意見が出るのですか?
PB黒字化目標は、「緊縮バイアス」を生み出すことが大きな問題とされています。目標を達成するためには、基本的に増税や歳出削減といった緊縮策を講じる必要があり、これがデフレ下での日本の経済成長を妨げてきました。純債務残高への転換論者は、PB目標が経済成長の足かせになっており、財政再建を遅らせていたと主張しています。
Q3. 純債務残高の目標が安定すれば、本当に財政は大丈夫なのですか?
新しい目標の根拠は、「経済成長率(g)が金利(r)を上回る状態(g > r)」を維持することです。この状態であれば、たとえ借金(純債務)が増えても、経済規模(GDP)がそれを上回るスピードで成長するため、借金の対GDP比率は相対的に安定・低下します。つまり、財政の持続可能性を、「緊縮」ではなく「経済成長」によって達成するという考え方です。

