6月3日 17:53 日本の「借金」は本当にヤバいのか?複雑な真実と政府の「財源がない」の裏側 | マーケターのつぶやき

日本の「借金」は本当にヤバいのか?複雑な真実と政府の「財源がない」の裏側

「日本の借金はGDPの2.5倍に達し、世界最悪の水準だ!」――こうした言葉を耳にしない日はないかもしれません。財務省は増税や歳出削減の必要性を訴える際に、この数字を繰り返し強調します。しかし、本当に日本の財政は、私たちの生活を脅かすほど危機的なのでしょうか?

結論から言えば、日本の「借金」は確かに巨額です。しかし、その「借金」にはいくつかの重要な特性があり、単純に「ヤバい」と片付けられない複雑な側面も持ち合わせています。そして、その特性を知ることで、政府が頻繁に口にする「財源がない」という言葉の裏側も見えてきます。

「借金」の定義で変わる印象:グロスか?それとも純債務か?

財務省が強調するのは、主に「国・地方の長期債務残高」「一般政府債務(グロス債務)の対GDP比」です。これは、政府が抱える金融負債の総額を示します。

最新の国際通貨基金(IMF)のデータ(2024-2025年予測)を見ると、日本の一般政府グロス債務の対GDP比は約250%前後と、世界でも突出して高い水準にあります。例えば、主要先進国(G7)と比較すると、以下のようになります。

  • 日本:約250%
  • アメリカ:約125%
  • イタリア:約138%
  • フランス:約115%
  • イギリス:約104%
  • カナダ:約110%
  • ドイツ:約62%

先進国の平均は約110%程度であることを考えると、日本のグロス債務が際立って高いのは事実です。財務省は、このグロス債務の数字を強調することで、財政状況の厳しさを国民に訴え、増税や歳出削減の必要性を論じる根拠としています。

しかし、この「借金」の考え方には、もう一つの重要な側面があります。それは、政府が保有する金融資産を考慮しているかどうかです。

「グロス債務」は、政府が借りているお金の「総額」だけを数えます。例えるなら、皆さんが誰かから100万円借りていたら、貯金がいくらあっても「100万円の借金がある」と言うのと同じです。

一方で、「純債務(ネット債務)」という考え方があります。これは、政府が抱える金融負債(借金)から、政府が保有する金融資産(例えば、年金積立金や外貨準備、政府系の金融機関が持つ資産など)を差し引いたものです。IMFや経済協力開発機構(OECD)など、多くの国際機関も、財政状況を比較する際にこの純債務の概念も重視しています。

なぜ純債務が重要なのでしょうか? 皆さんが100万円の借金があっても、同時に90万円の貯金があれば、実質的な借金は10万円ですよね? 政府の財政も、全く同じとは言えませんが、同様の側面があるのです。

日本の純債務は、対GDP比で約180%程度となります。グロス債務の250%超に比べれば低いとはいえ、依然として高い水準であることに変わりはありません。しかし、グロス債務のみを強調して「日本は破綻寸前」という論調は、過度に危機感を煽るものだ、という意見も存在します。財務省が意図的に「悪く見える」グロス債務を前面に出している、という批判が生まれるのは、この純債務との乖離が大きい点にあるのです。

日本の「借金」は誰が持っているのか?:国内消化率の高さ

「借金」というと、どこか遠い外国にお金を借りているような印象を持つかもしれませんが、日本の国債のほとんどは国内の投資家が保有しています。具体的には、約9割を日本の銀行、生命保険会社、年金基金、そして日本銀行といった国内の主体が持っているのです。海外投資家の保有比率はわずか1割程度に過ぎません。

この国内消化率の高さは、日本の財政の安定性を語る上で極めて重要なポイントです。なぜなら、多くの国が財政破綻に陥る際、海外投資家の資金引き揚げが引き金となるケースが非常に多いからです。

  • 海外依存が高い国のリスク: 例えば、アルゼンチンは過去に何度も債務不履行(デフォルト)に陥っていますが、その背景には、国債の多くが海外投資家に依存していたことや、自国通貨を米ドルに固定する「固定相場制」を採用していたことなどがあります。経済が不安定になったり、国の信用が揺らいだりすると、海外投資家はリスクを回避するため、一斉に国債を売却し、自国通貨から外貨へと資金を引き揚げます。これにより、その国の通貨は暴落し、金利は急騰。アルゼンチンのように、自国通貨の価値が急落し、外貨が不足して返済不能に陥るという形でデフォルトへと追い込まれるのです。

  • 日本の強み:資金の循環と金利の安定: しかし、日本のように国内でほとんどが消化されている場合、そうした急激な海外からの資金流出のリスクは極めて低くなります。日本の国債は、国民が貯蓄したお金が銀行や保険会社を通じて政府に貸し付けられ、再び国民や企業に還元されるという「国内での資金循環」によって支えられています。これにより、国債の金利は低く安定的に推移しやすくなります。 また、国債は満期が来たら、新たな国債を発行して借り換えることで返済されますが、国内に安定した国債の買い手(国内金融機関や日本銀行など)がいるため、この借り換えが滞るリスクが低いと考えられます。

  • 「国民の借金」は「国民の資産」: 国債は政府の負債ですが、それを購入しているのは私たちの預金を通じて銀行などであり、突き詰めれば「国民の資産」である側面も持ちます。国債の利払いや償還は国内で資金が循環しているため、他国とは根本的に異なる構造を持つのです。この国内資金循環の仕組みこそが、日本の財政が巨額の負債を抱えながらも安定している主要因の一つなのです。

【国内消化率の高さがもたらす安定】

このように、日本の財政が巨額の負債を抱えながらも、他国のような「デフォルト危機」に直面しにくいのは、この「国内で国債が安定的に消化される」という、極めて稀有な構造があるからです。海外からの投資家の顔色をうかがう必要が少なく、国の経済状況が不安定になったとしても、資金が海外へ急流するリスクが小さい。この国内資金循環の仕組みこそが、日本の財政が持つ独自の強みであり、現在の低金利を維持できている主要因の一つなのです。

国全体で見た「貯蓄」:世界最大の対外純資産国

政府の借金とは別に、国全体(政府、企業、個人すべて)が海外に対してどれだけの資産を持っているかを示すのが「対外純資産」です。これは、「海外に持つ資産」から「海外からの負債」を差し引いた純額であり、その国の経済的な「貯蓄」や「体力」を測る重要な指標と言えます。

日本は、この対外純資産において、長年にわたり「世界最大の債権国」の地位を維持してきました。直近(2023年末)のデータでは、ドイツに次ぐ2位となりましたが、それでもその額は約411兆円(3兆ドル以上)と、まさに「巨額」の一言に尽きます。

この巨大な対外純資産が意味するところは多岐にわたります。

  • 国の経済的な「体力」: 海外に多額の資産を持つということは、国全体としていざという時に、海外資産を売却することで外貨を調達したり、国内経済を支えたりする巨大な余力があることを意味します。これは、国際的な信用を維持する上でも極めて重要な要素です。
  • 円の国際的な信認: 巨額の対外純資産は、国際社会からの「円」に対する信認を支える要因の一つとされています。海外に多くの資産を持つ国は、通貨が不安定になりにくいという安心感を与えます。
  • 安定した収益源: これらの対外資産からは、毎年多額の投資収益(利子や配当など)が得られます。これは、日本の経常収支(貿易収支やサービス収支などを含めた国の国際的な取引の全体像)を大きく支える要因となっており、たとえ貿易収支が赤字になったとしても、国全体の収支を黒字に保つ上で重要な役割を果たします。

つまり、政府の借金だけを見るのではなく、国全体としての対外的な「貯蓄」も考慮に入れると、日本が経済的な安定性という点で、他の多くの国とは一線を画していることが分かります。

「財源がない」は本当か?政府の「選択」

こうした日本の財政の特性を踏まえると、政府が頻繁に口にする「財源がない」という言葉は、必ずしも「お金を調達する能力がない」という意味ではない、という側面が見えてきます。

むしろ、それは「財源をどう使うか」「どの政策を優先するか」という政府の「選択」の結果であると解釈できる場合があるのです。

例えば、

  • 緊縮財政の継続: 財務省は、グロス債務の大きさを強調することで、増税や歳出削減といった緊縮財政の必要性を訴え続けています。しかし、デフレが続く中で過度な緊縮は経済成長を阻害し、かえって税収を減らすという批判もあります。
  • 「インフレにならない限り」: 自国通貨建ての債務であれば、インフレが起きない限り政府は必要な支出を行うことができます。日本の現状は、物価上昇が課題とはなっているものの、まだかつてアルゼンチンが経験したようなコントロール不能なハイパーインフレとはかけ離れています。

もちろん、財政規律が全く不要というわけではありません。少子高齢化による社会保障費の増加など、構造的な課題が山積しているのも事実です。しかし、日本が持つ独自の財政的強みを無視して、いたずらに危機感を煽り、「財源がないから」と増税やサービス削減を安易に進める姿勢は、国民の生活や経済成長の機会を奪うことにも繋がりかねません。

私たちは、政府が示す「借金」の数字だけでなく、その裏側にある複雑な特性を理解し、政府の「財源がない」という言葉が、本当に「物理的に不可能」なのか、それとも「政策的な選択」なのかを、冷静に見極める必要があります。この国の財政の未来は、私たち自身の理解と議論にかかっているのです。

私たちにできること:財政の未来を「見極める」ために

日本の財政問題は、決して単純な「善悪」や「破綻か否か」で語れるものではありません。様々な側面から多角的に分析し、その複雑性を理解することが、私たち一人ひとりに求められています。

政府が提示する情報だけでなく、IMFやOECDといった国際機関のレポート、あるいは様々な経済学者の意見など、多様な視点に触れてみることが、財政の真の姿を見極める第一歩となるでしょう。

そして、最終的に財政の舵取りを担うのは、私たち国民が選ぶ政治家です。どのような財政政策が、この国の経済を成長させ、私たちの生活を豊かにするのか。どのような「選択」が未来にとって最善なのか。私たちは、その議論に積極的に関心を持ち、自身の価値観に基づいた「政策的な選択」が何であるかを考え、選挙などを通じて意思を表明していくことが重要です。

この国の財政の未来は、決して「財源がない」という一言で決まるものではありません。私たち自身の理解と、主体的な行動にかかっているのです。