2024年から2025年にかけて、日本の米不足が話題になりました。背景には天候不順や需要の変化もありますが、最大の根本原因とされるのが「減反政策」の存在です。すでに廃止されたはずのこの政策が、なぜ今も日本の農業と消費者を縛っているのか。そしてなぜ日本の農政は、世界の動きと真逆の方向に進んでしまったのか。今回は、減反政策の歴史と構造、日本農業を弱体化させた背景にある政治と官僚の利権構造を解説します。
減反政策とは何だったのか?
減反政策(正式には「生産調整」)は、米の生産過剰を防ぐために農家に田んぼの一部を休耕させ、米の作付けを制限する政策です。1970年に始まり、約50年間続けられました。背景には戦後の食料不足解消後に発生した米余りがあり、価格下落を防ぐために導入されたのです。
農家には減反に応じることで補助金が支給され、農業収入の一部を政府が保証する仕組みができました。農家の生活を安定させるという目的は一定の効果を上げたものの、その代償はあまりに大きかったのです。
表向きの「廃止」、裏で続く“実質減反”
2018年、減反政策は「廃止された」と政府から発表されました。多くの国民はこれを、ついに官製農政からの脱却だと受け取りました。しかし、実態はほとんど変わっていません。
政府は「水田活用の直接支払交付金」という新たな制度を通じて、飼料用米や米粉用米などへの転作に対して補助金を支給し、地域ごとの生産調整も事実上温存。つまり、減反の看板を下ろしただけで、内容は継続しているのです。
なぜこのような「形だけの廃止」が行われたのでしょうか?
- 国際社会へのアピール:TPPやWTOの場で、自由化に応じた“改革姿勢”を見せる必要があった
- 農水省とJAの利権温存:減反制度を通じた補助金配分や需給調整は、農水省とJAにとっての既得権益
- 世論操作:「改革を進めている」というポーズを取り、国民の関心をかわす政治的パフォーマンス
このような背景から、減反政策は名を変え、構造を維持したまま存続しているのです。
減反政策がもたらした日本農業の弱体化
◆競争力の低下と国内農業の硬直化 減反政策により農家は「作りたくても作れない」状態に置かれました。生産性の向上や技術革新の意欲は削がれ、農業は競争よりも補助金依存の産業へと変質。結果として日本の農業は、世界市場で戦えるだけの規模や効率を持てず、高コストで非効率な構造が固定化されました。
◆輸出という選択肢を封じた構造 現代は世界的に食料需給が逼迫しており、多くの国が自国の農産物輸出に力を入れています。しかし日本では「米が余ったら輸出すればいい」という発想が政策として機能してきませんでした。その背景には、米の流通規制や国際競争を忌避する農政の姿勢があり、結果として日本は輸出を増やすどころか、国内生産すら縮小させてしまいました。
◆表向きの“廃止”と裏側の継続 2018年に減反政策は「廃止」されましたが、実際には「民間主導の生産調整」という名目で、実質的な作付制限が今も行われています。都道府県や農協を通じて農家への圧力や調整が続き、自由な米作りは許されない状況です。
減反政策がもたらした負の影響
この半世紀にわたる政策が、日本の農業や食料安全保障にもたらした影響は甚大です。
1. 国内農業の衰退
転作や作付け制限によって、米の生産技術や担い手は失われ、農家の経営基盤は弱体化しました。日本の農業は競争力を持たない構造に陥り、特に若年層の就農意欲を奪っています。
2. 自給率の低下
米の生産量が絞られることで、穀物全体の自給率も圧迫されました。日本のカロリーベースの食料自給率は38%と先進国でも異常な低水準です。
3. 価格高騰と供給不安
今回のような気候不順や物流停滞があると、すぐに市場は混乱し、価格が高騰。減反によって需給の余力が失われていたため、柔軟な供給調整ができなくなっているのです。
減反を維持したのは誰か──自民党農水族・農水省・JAの三位一体
◆農水省:権限と予算を守る官僚機構 農水省は減反という政策を通じて農業全体を“管理”する権限を握ってきました。自由な農業経営が広がれば、役所の指導や補助の枠組みが崩れ、自らの存在意義や予算が脅かされます。こうした“官僚の論理”が、構造改革のブレーキとなってきたのです。さらに、減反政策が撤廃されたと言われながらも実質的に温存されている背景には、農水省とJAとの間にある「天下り構造」も無視できません。農水省の幹部OBがJAや関連団体に再就職し、JAの求める制度を後押しする。この構図は、農業政策が国民全体の利益よりも、特定組織の利権によって左右されている実態を如実に示しています。
◆自民党農水族議員:票田と利権を優先 農村地帯を支持基盤とする自民党の農水族議員たちは、補助金による農家支援を前面に出すことで、選挙のたびに票を集めてきました。結果として、長期的な農業改革よりも短期的な人気取りが優先され、競争力のある農業への転換は進みませんでした。
なお、2025年の参院選を前に、農水族議員が「米が余って売れるほどある」といった発言を行い、ネット上で炎上する事態も発生しました。この発言は、現実の米不足と価格高騰に直面している消費者の感覚と大きく乖離しており、農政を巡る国民の不信感を一層深める結果となりました。
◆JA(農協):既得権益を守る組織 農協は農産物の集荷・販売・融資・共済と多岐にわたるビジネスを展開しています。農家が自立し、自由な販路を開拓すれば、JAを介さない動きが強まり、組織としての力が弱まる恐れがあります。そのためJAもまた、減反や補助金制度の維持を望み続けてきました。
この三者の利害が一致し、日本の農業政策は「改革より現状維持」が基本線となり続けてきたのです。
世界は「増産」へ、日本は「減産」へ──世界の動きと逆行する日本の農業政策
世界の主要国では以下のような方向性で農業政策が進んでいます。
- 食料自給率の強化(安全保障としての農業)
- 農業の企業化・大規模化・スマート化による競争力向上
- 生産の自由化と国際輸出の推進
たとえば、オランダは国土が狭くても輸出大国として成功し、アメリカや中国は農業を国家戦略の柱に据えています。一方、日本だけが長年にわたって「作るな」と言い続けてきたのです。なぜ米が余って困るのか。余ったら輸出すれば良いのでは?という声も当然出てきます。
しかし日本の農業は減反と保護政策の結果、海外と価格で戦える構造になっていませんでした。米を安く大量に輸出できる体制が整っていなかったのです。
ただしこれは農家の責任ではなく、そうした構造を温存してきた農政の責任です。もし、減反ではなく競争力強化に向けた支援策が行われていれば、日本農業はもっと違う姿になっていたでしょう。
誰が農業を弱くしたのか──自民党農水族とJAの構造的責任
減反政策の継続を支えてきたのは、政治家と農業団体の密接な関係です。特に、農林水産省の元官僚の多くがJAやその関連団体へ天下りし、制度設計や運用を担ってきました。
政治家、特に「農水族」と呼ばれる議員たちは、JAを通じた票田や資金提供を背景に、農政に強い影響力を持ちます。減反政策はこの利権構造の中核であり、補助金や制度を通じて相互に利益を享受する関係が続いています。
つまり、減反政策がここまで延命されてきた背景には、農水省・JA・自民党農水族による“癒着の構造”があるのです。
改革の第一歩は「農水族を選挙で落とす」ことかもしれません
現在の農業政策を停滞させている最大の要因は、JA・農水省・農水族による三位一体の利権構造です。なかでも国会議員である農水族は、本来なら農業の将来を見据えた政策立案をすべき立場にありながら、実際にはJAや地元農業団体との癒着を背景に、既得権益の維持を最優先しています。
● 農業に詳しくない農政担当者
たとえば、江藤拓元農水相の「米は売れるほどある」といった発言は、現場で起きている価格高騰や需給不安を無視したものであり、農政担当者としての見識を疑わせます。このように、肩書きだけで農政を司る人間が、構造改革を進められるはずがありません。
● 政策判断がJAとの利害調整に偏る
農水族は、JAとの結びつきによって「票とカネ」の支援を受けており、そのためJAに不利になる制度改革には極めて消極的です。減反政策が実質的に温存されているのも、まさにこの政治構造が原因です。
有権者ができる本当の農業支援とは?
農家を守りたい、農業を良くしたいと思うなら、「農水族を選挙で落とす」ことが最も効果的な手段かもしれません。地元農協の支援を受けた候補者がどんな立場で農業を語っているのか、選挙前にその発言や行動をしっかり見極めることが重要です。
いま必要なのは“弱く守る”農政からの脱却
令和の米騒動が示したのは、日本の農政がもはや限界を迎えているという現実です。減反政策によって“弱く守られてきた”農業は、もはや自立できないほどに競争力を失いました。
これから求められるのは、補助金による保護ではなく、輸出や高付加価値化を前提とした産業としての農業政策です。気候変動や地政学リスクが高まる今、食料安全保障の観点からも「作らせない農政」から「作れる農業」への転換が急務です。
令和の米騒動を一過性の混乱と捉えるのではなく、日本の農政の歪みと真正面から向き合う契機にする必要があります。