その「穏やかな道」の先にあるのは、安らかな死か。
2025年12月29日、テレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』。鈴木憲和農相が口にした「需要創出が先にあって初めて増産できる」という言葉に、耳を疑った視聴者も少なくないはずだ。
一見すると、農家の生活を守り、市場を冷静に見極める誠実な姿勢に聞こえるかもしれない。しかし、その甘い響きに騙されてはいけない。それは、かつて石破政権が掲げた「攻めの農政改革」の旗を静かに下ろし、再び日本の米を「補助金と規制」という古い檻に閉じ込める「改革放棄の免罪符」に他ならないからだ。
なぜ、農相の論理は「詭弁」と言わざるを得ないのか。そして、私たちが日常的に口にしている「日本のお米」が、なぜ政治の「不作為」によって袋小路へと追い込まれようとしているのか。玉川徹氏が切り込んだインタビューの裏側に隠された、農政の歪んだ真実を解き明かす。
◆ 「鶏と卵」を逆転させる論理の詭弁
鈴木農相は「大増産すれば価格が下がり現場が不安になる。まず需要を作ることが先だ」と主張する。しかし、これは市場経済の原理を意図的に無視した「逆転した詭弁」に他ならない。
何をもって詭弁とするのか。それは、「需要がないから作れない」のではなく、「高すぎて需要が生まれない環境を維持している」という事実を隠蔽している点にある。
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因果関係のすり替え: 本来、市場は「安くて良いものが潤沢にある」という供給側の攻めの姿勢に反応して、後から需要が形成されるものだ。農相の論理は「売れる保証が100%なければ、安く作る努力(増産・効率化)もしない」と言っているに等しい。これは「卵(需要)が生まれない限り、鶏(供給)は育てない」という、ビジネスとしては成立し得ない思考停止である。
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「不安」という感情への論点のすり替え: 経済合理性の議論を、「生産者側の不安」という感情論にすり替えている点も巧妙だ。価格が下がることは、既存の農家にとっては一時的な収益減かもしれないが、消費者や輸出競争力、そして新たな用途(米粉等)の開拓にとっては最大の「チャンス」である。そのプラスの側面をあえて無視し、価格低下を「明白な悪」として定義することで、改革を拒む正当な理由に仕立て上げているのだ。
海外産と4倍もの価格差がある現状で、価格を下げる努力を棚上げし、「需要があれば動く」と説く姿勢は、市場競争における「実質的な敗北宣言」を、もっともらしい理屈で包み隠しただけのものと言わざるを得ない。
◆ 「穏やかな道」という名の袋小路
農相は「現場に受け入れられる穏やかな道」という言葉を多用した。一見、農家への配慮に聞こえるが、その実態は「痛みを伴う構造改革は行わない」という表明に他ならない。
もちろん、この「じり貧の延命」をメリットとして享受する人々も存在する。 筆頭は、JA(農業協同組合)という巨大な既得権益組織だ。 現在の複雑な補助金制度や、JAが米の集荷・販売を独占的に担う仕組みがあるからこそ、彼らの組織としての集金力や影響力は保たれている。自由化が進み、農家が自らの判断で大規模化し、直接輸出や企業契約に動き出せば、JAによる「管理」は無用となる。彼らにとっての「デメリット」とは、日本の米が衰退することではなく、自分たちの「管理権益」が失われることなのだ。
鈴木農相が忖度しているのは、農家の未来ではなく、彼らを束ねるJAの「票」と「組織力」ではないのか。その「穏やかな道」の代償を払わされるのは、高すぎる米を買い続ける消費者であり、世界に打って出る機会を奪われた意欲ある若手農家である。日本の米農業の未来を担保にした、あまりに身勝手な生存戦略と言わざるを得ない。
◆ 法改正なき「需要創出」の空虚さ
高市首相は「米粉や化粧品、輸出など、米の多様な用途を促進して需要を創出する」と繰り返す。一見前向きなこの言葉だが、その勇ましい響きの裏には、致命的な「市場感覚の欠如」が隠されている。
本来、需要を創出するために政治が真っ先に取り組むべきは、戦後の管理論理を引きずる「食糧法」を中心とした法体系の抜本的な見直しである。だが、現政権はその本丸には一切触れようとしない。現状の「法改正なき需要創出」がなぜ空虚なのか。そこには、自由な経済活動を阻む三つの巨大な壁が存在する。
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「用途」という名の検閲が需要を殺す 現在の法律および運用では、米を「主食用」「飼料用」「輸出用」などと厳格に区分し、それに応じて補助金を出すことで流通量を管理している。 これが何を招いているか。例えば、世界的に需要が高まる「米粉」の原料として主食用米を使おうとしても、価格が高すぎて採算が合わない。あるいは、豊作で余った米を即座に輸出に回そうとしても、複雑な手続きと区分の壁が民間の機動的な動きを封じ込めている。この「用途の壁」を取り払う法改正こそが、米の可能性を解放する唯一の道である。
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「生産調整(減反)」がコスト削減の芽を摘む 「需要に見合った生産」という農相の言葉は、実質的に「減反」を継続することを意味する。作付けを制限し、価格を高く維持することに補助金を出す今の仕組みは、経営努力でコストを下げ、大量生産で販路を広げようとする意欲ある農家の足を引っ張っている。 法律によって「作らないこと」にインセンティブを与え続ける限り、海外と4倍もの価格差がある日本の米が、国際競争力という名の「需要」を勝ち取ることは不可能だ。
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「自由度」の欠如がイノベーションを阻む 今の法体系は「JAを通じて国が需給をコントロールする」という、いわば計画経済の思想で成り立っている。しかし、真の需要創出は、民間企業が市場の隙間を見つけ、自由に価格を決め、自由に供給できる環境(=自由度)からしか生まれない。 米農業を「国とJAが管理する福祉事業」から「民間の創意工夫が活きる産業」へと転換させる。その法的裏付けを棚上げにして「需要が先だ」と言い続けるのは、泳ぐことを禁じたまま「泳げるようになったら水を張ってやる」と言い放つような、あまりに不誠実な論理である。
◆ なぜ「区分の撤廃」という一歩が踏み出せないのか —— JA利権の闇
これほど明白な弊害がありながら、なぜ法改正に踏み出さないのか。それは、この「不自由な区分」こそが、国やJAが農家を支配し、巨額の補助金を差配するための「権力の源泉」だからだ。
筆頭は、JA(農業協同組合)という巨大な既得権益組織である。 現在の複雑な用途区分や、JAが米の集荷・販売を独占的に担う仕組みがあるからこそ、彼らの組織としての影響力は保たれている。自由化が進み、農家が自らの判断で大規模化し、直接輸出や企業契約に動き出せば、JAによる「管理」は無用となる。彼らにとってのデメリットとは、日本の米が衰退することではなく、自分たちの「管理権益」が失われることなのだ。
鈴木農相が忖度しているのは、農家の未来ではなく、彼らを束ねるJAの「票」と「組織力」ではないのか。その「穏やかな道」の代償を払わされるのは、高すぎる米を買い続ける消費者であり、世界に打って出る機会を奪われた意欲ある若手農家である。
◆ 鈴木農政が進める「需要創出」の正体 —— 令和の減反復活とJA利権
なぜ法改正が行われないのか。それは、鈴木農相が掲げる「需要創出」の具体的施策を見れば一目瞭然だ。実際に行われているのは、新市場の開拓ではなく、「作るな、高く売れ」という時代逆行の管理農政の強化である。
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2026年産米の「37万トン減産」方針 政府は、前政権が掲げた「増産方針」をわずか数ヶ月で撤回。2026年産米の生産目安を前年より約37万トン(約5%)も減らす方針を示した。これは、供給を絞ることで米価の下落を力ずくで阻止し、消費者の家計よりも「組織の利益」を優先する姿勢の現れだ。
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4,000億円の血税工作と「異常な介入」が暴く癒着の構図 物価高対策という名目で、4,000億円規模もの巨額の血税を投じて配布される「おこめ券」。当初、発行に関わる事務手数料が12%と高額に設定され、JA全農や全米工(全米販グループ)といった団体への利益誘導であるとの批判が噴出した。これを受け、鈴木農相は自ら「事務手数料の値引き」を指示し、あたかも改革したかのように自ら発表した。しかし、これこそが異常な事態である。備蓄米の放出による米価抑制については「市場の需給に政府が介入すべきではない」と拒絶し続けてきた大臣が、なぜ民間団体の内部コストであるはずの手数料には直接介入し、自ら広報官を務めるのか。「価格に関与しない」と言いながら、政権の批判回避のためなら民間組織の規定をねじ曲げる。この「ご都合主義のダブルスタンダード」こそが、鈴木農政の本質だ。手数料の端数を削ることで、本丸である「4,000億円の血税を既得権益へ流し、米価を高く維持し、国民にトータルで二重の損失を負わせる」という構造を、必死に隠蔽しようとしている。
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「市場任せ」のダブルスタンダード 価格抑制のための備蓄米放出は「市場を歪める」として拒否する一方、価格が下がりそうになると「需給調整」と称して国が介入し供給を絞る。「高い時は市場のせい、安値の時は国の介入」という、極めて不誠実な使い分けがなされている。
FAQ:よくある疑問と真実
Q1:農相の言うように「増産して米価が下がる」と、農家が潰れてしまうのでは?
A: 単純な値崩れではなく、「法改正によるコストダウン」と「輸出拡大」をセットにすべきだというのがこの記事の主張です。現状の高止まりは国内需要を縮小させています。世界市場を相手に戦える構造に移行しなければ、結局は「穏やかな衰退」を待つことになります。
Q2:高市首相が掲げる「米粉や化粧品」への活用で需要は増えませんか?
A: 期待は持てますが、「価格競争力」がなければ普及しません。 既存の安価な原料に対抗できるまでコストを下げるための構造改革を避けたまま「需要創出」を謳うのは、民間企業に損を強いる、実現性のない理想論でしかありません。
Q3:なぜ「用途区分」をなくすだけで需要が増えるのですか?
A: 民間ならではの機動的なイノベーションが可能になるからです。現在は用途変更に煩雑な手続きが必要ですが、これが撤廃されれば、余った米を即座に新製品や輸出に回すといった自由な商売ができ、結果として消費量が増えるのです。
Q4:鈴木農相は事務手数料を値引きさせたそうですが、評価できるのでは?
A: むしろ、その行動が異常です。「価格に介入しない」と言う大臣が、民間団体のコストにだけ介入し自ら発表まで行う。これはおこめ券という利権構造が、政府と特定団体の「密室の談合」で成り立っているかを証明しています。
Q5:JA(農協)は農家のための組織ではないのですか?
A: 本来はそうあるべきですが、現在のJAは「補助金を分配し、流通を管理するシステム」の一部となっており、組織の維持を優先しすぎるあまり、農業全体の未来が犠牲になっているのです。
Q6:私たちは何を求めるべきですか?
A: 政治に対して、単なる「需要創出」という言葉遊びではなく、「食糧法の抜本的な見直し」と「市場原理の導入」を求めるべきです。
◆問われるのは「票のための維持」か「未来のための再生」か
石破政権発足当初、期待されたのは「守りの農政」との決別であったはずだ。しかし、今回露呈したのは、高市政権が推し進める「古き良き自民党農政」への完全な先祖返りである。
彼らが掲げる「食料安全保障」という言葉は、一見、国を守る力強いスローガンに聞こえる。しかしその実態は、JAという巨大な集票組織を満足させるために、非効率な農家を補助金でつなぎ止め、現状の管理体制を1ミリも動かさないための「現状維持の正当化」に他ならない。
高市政権が選択しようとしているのは、構造改革という「痛み」を避け、一部の組織票を固めることで政権の安定を図る「政治の都合」だ。だが、その「票のための優しさ」こそが、日本の農業から自立する力を奪い、結果として食料安保を最も危うくしているという皮肉に、彼らは目を向けようとしない。
「輸出なくして日本の米を守る手段はない」という玉川氏の主張と、政権が説く「穏やかな現状維持」。どちらが20年後の日本の田んぼを持続可能な形で残せるかは明白だ。
政治が「一部の組織の既得権益」を守るために改革放棄の詭弁を弄し続ける限り、日本の米農業は世界から取り残され、明るい未来を描くことは永久に不可能だろう。 私たちが今、問うべきは、政治家が語る耳当たりの良い「食料安保」が、誰の利益のために叫ばれているのかという一点である。
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